「ラジオと模型」の記事から

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昭和20年代前半に発行された模型工作雑誌、「ラジオと模型」の記事をご紹介します。
百花繚乱の感があった終戦直後の科学・模型工作雑誌の中でも、異彩を放った存在だったのがこの「ラジオと模型」。初期の発行所所在地が金沢市竪町と、首都圏や京阪神圏でなかったことも変わっていますが、模型誌としては洗練された誌面デザインで他誌にない雰囲気を醸し出しており、発行期間は2年強という短命ながら記憶されるべき存在です。

鉄道模型記事のパーセンテージは、以前紹介した「モデランド/模型少年」ほどではありませんでしたが、Oゲージを中心に、22ミリゲージ(後年のSゲージとはちょっと違うもの)、HOゲージと多彩で、同類他誌にくらべ少し年齢層を下げた、手工的な感じでまとめられているものも散見されました。
創刊時の編集兼発行人・米原徹夫氏は戦前の中学生時代、月刊「科学と模型」に35ミリゲージの車掌車の製作記事を執筆された経験があり、創刊当初は執筆・編集から挿画まですべて氏一人でこなされ、後にオーディオ機器のデザインも手がけられたとのこと。

当初の発行元名は「ラジオと模型社」、発行元所在地は上記の金沢市で、米原氏の肩書は編集兼発行人でしたが、通巻第4号(昭和22年6月発行)では早くも、表4にゴム印で「ラジオと模型社は左記に移転しました」と東京都港区の所番地が記され(下掲画像参照)、わずか4号を発行したのみで、東京進出を果たしたことがわかります。

続く通巻第6号(昭和23年6月発行)になると発行元名が「株式会社 少年文化社 ラジオと模型編集部」、発行元所在地が「千代田区万世橋 交通文化ビル」、発行人篠原雅之、編集人米原氏と大きく変化。第4巻第3号(24年3月発行)を見ると編集人から米原氏の名が外れ、野沢正となっていました。24年1月発行号までは米原氏の名があったので、どうやら23年いっぱいで退かれたことがうかがえます。

そして「ラジオと模型」は24年7月発行の第4巻第7号を最後に「ロケット」と改題、航空が主題の雑誌に変貌し、模型の記事は次第に減ってゆきました。少年文化社は他にも少年向け図解科学雑誌「動く実験室」も発行し、所在地は千代田区須田町の交通博物館(当時は『交通文化博物館』)内でした。

今回は、まずOゲージを含む鉄道模型記事の比較的多い昭和23年6月発行の第6号を、表1~表4・広告まで含めた全ページを掲載し、当時の誌面の雰囲気を味わっていただいた後、昭和23年7月発行の第7号、昭和22年6月発行の第4号は、鉄道模型の記事のみより抜いた形とさせていただきました。

用紙、印刷、製本事情ともに恵まれない時代であり、せっかくの美しいイラストや写真もカスレまたはツブレでスポイルされ、小さな活字は判読できない部分も多々ありますが、ままならない環境下での誌面作りに奮闘した、米原氏はじめ当時の人々を思うよすがともなれば幸いです。

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目次下、「次号のお知らせ」に、「ラジオと模型社」は「少年文化社」と合併する旨が書いてあります。文中にもあるとおり、交通博物館は戦後の一時期、「交通文化博物館」を名乗っていました。

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ライオネルの自動装置解説記事。現在のナックルカプラーが普及する前、戦前は一般的だった手動のラッチカプラーを自動化した製品を紹介しているのが目を引きます。11ページ下図の汽笛吹鳴(右)と、ギミックを動かすアクセサリー・レールの仕組みは、構成パーツこそ違え今も変わらず、当時の車輌を現在のコントローラーで動作させることができます。

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戦前からの執筆者、荒川嘉男、竹野正吉の両氏による初心者向け製作記事。竹野氏は戦前よりペーパー車輌の量産で知られており、記事冒頭でも「ペーパーモデルの熱心なる研究家」と紹介されています。

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35ミリゲージ、「二重界磁モーター」と称する複巻モーターと、レール三線絶縁による自動逆転機構が特徴の電車。スタイルもなかなか好ましいですね。

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荒川嘉男氏二本目の記事、嵌脱機構こそないものの、一つのモーターから伝動装置でクレーンと走行用動力を取る、カラクリ好きにはたまらない内容。製作記事としての完成度も高く、ベテラン執筆者ならではの安定感が感じられます。

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つぼみ堂の床下モーター(写真はこちら)、初出はこんなにも早かったことを知り驚かされました。表2の広告にもあった、パンタが中央にあるカワイのEB20初期型も目を引きますが、いずれも写真が不鮮明なのが残念です。左は上から、有楽町にあったエース模型店の16番用直巻モーター、同じく貨車用らしいダイカスト台車、神保町にあった雄飛堂模型店の自動逆転器。

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右下の広告、「模型工作雑誌 モデルマニヤ」気になりますね! しかも発行元所在地が千葉県安房郡、初期の「ラジオと模型」同様、地方発の模型誌というのが珍しく、実在していたらぜひ読んでみたいものです。

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上にずらりと並んだ表紙を見ると、創刊から1年はほぼ隔月刊だったことがわかります。左上カコミ、米原氏の言葉に「用紙入手困難その他の悪条件の中で」とあるのが、統制経済下にあった当時の資材事情がかいま見え、ご苦労がしのばれますね。
右下奥付、「交通文化ビル」は後の交通博物館のことですが、「千代田区万世橋」という地区名は昔も今もなかったはずで、結局この表記は本誌が「ロケット」に改題するまで改められず、これで郵便物が支障なく届けられたとすると、何ともおおらかな時代だったのだなあ、と思ったものです。

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興味をそそる広告ページ。初期のTMSなどでも見られた、終戦直後に立ちあがったメーカーや模型店の名前がいくつもあり、当時の熱気が伝わってきそうですね。戦前、カワイのコピー製品を出したことで有名(?)になった竹岡模型製作所、創業は明治30年だったのか‥‥。

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神保町は現在のすずらん通りにあった、雄飛堂模型店は創業明治43年‥‥。そういえば、国内初の模型飛行機店である「?屋(ののや)」が神田今川小路に開店したのが明治41年、徳川・日野両大尉の初動力飛行が同43年。航空熱が高まったこの時期に、模型店の創業が相次いだのかもしれません。

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第7号(昭和23年7月発行、定価35円)の表紙。米原氏の好みなのか、「ラジオと模型」は赤を地色とした表紙が多く、変色しやすい当時の用紙でも絵柄が美しく映えています。もしかすると、用紙の質を考えてこの地色が選ばれたのかもしれませんね。

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創刊して最初の三つ折り引き出し図面が、この「グレイトノーザン鉄道Z-1型電気機関車」、60分の1・22ミリゲージ原寸図。裏面は実車の解説と製作に関してのポイントを述べ、製作図解は以下の本文記事に掲載されています。第2・第3動輪をフランジレスにするアイデアが当時としては斬新。

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作り方‥‥というか一枚のイラストに添えた概説ですが、レイアウトに触れた記事としては早い部類に属するのではないでしょうか。戦後どっと入ってきたアメリカからの情報に、刺激を受けて書かれたことが感じられる記事ではあります。

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当時ポピュラーだった、教材用直巻モーターを使って作るトロリー。作りやすさを考えて、切妻ですが断面は小さくまとまり、シルヘッダーにビューゲルとディテールも簡素ながらひととおり揃ってと、自作の充実感が味わえそうです。

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第4号(昭和22年6月発行、改正定価18円)の表紙。巻頭記事は「進駐軍オールウェーブラジオかいぼう記」。

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米原氏時代の鉄道模型記事の白眉(?)ともいえるのが、この4ページに渡る35ミリゲージの「デーゼル電車」! 見開きを貫く巻紙風のページデザインにシビレるものが。複巻モーターによる回路の簡素化、編成両端にそれぞれ1個づつモーターを仕込んだ際のスイッチ機構も工夫されて、メカ的にも興味深いものがあります。

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16番の記事2本はいずれも斉藤弘夫氏で、この時代、製作記事としては決して珍しくなかったモーターはともかく、線路も板から切り出した道床に釘を打ち込み、その頭に銅線をハンダ付け、最後に角材の枕木を接着するというもの。引抜レールが製品化されるのはまだ少し後で、記事には車輪、台車の自作にも触れられており、まさにゼロから立ち上げていく環境下にあったことが感じられます。

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第4号の表4。左下に移転を知らせるゴム印が押されているのがわかります。右下の定価の上にも「改正定価18円」の訂正印が押され、インフレが激しく校了から発売までの間に定価を変えざるを得なかった時代がしのばれます。
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